聖神社(秩父)と和同開珎|銭神様の由緒と和銅遺跡の回り方

聖神社(ひじりじんじゃ)は、埼玉県秩父市黒谷に鎮まる、「銭神様」の呼び名で親しまれてきた金運祈願の社です。708年、この地で発見された自然銅が朝廷に献上されると、元号が「和銅」と改められ、日本で最初期の流通貨幣とされる和同開珎(わどうかいちん)の鋳造につながりました。聖神社はこの和銅献上を機に創建されたと伝えられています。由緒と、和銅遺跡とセットで巡る回り方を紹介します。

聖神社とは:銭神様と呼ばれる由緒

聖神社は和銅元年(708年)創建と伝わる神社です。秩父からの自然銅の献上を喜んだ朝廷が勅使を遣わし、鉱山の神・金山彦命をお祀りしたのが始まりと伝えられています。

聖神社の創建は和銅元年(708年)と伝わります。秩父からの自然銅の献上を喜んだ朝廷が勅使を遣わし、鉱山の神である金山彦命(かなやまひこのみこと)をお祀りしたのが始まりで、のちに現在の地に鎮まったと伝えられています。

御祭神には金山彦命のほか、国常立尊や大日孁貴尊などが祀られ、改元を行った元明天皇(元明金命)も併せてお祀りされています。日本のお金の始まりの物語を、神社の由緒そのものが体現しているのです。

こうした来歴から、聖神社はお金にまつわる願いの社「銭神様」として親しまれるようになりました。金運や商売の祈願はもちろん、お金との付き合い方を見つめ直す参拝先としても味わい深い神社です。

「銭神様」という愛称はいかにも率直な呼び名ですが、そこには日本最初期の流通貨幣を生んだ土地という、揺るがない歴史の裏付けがあります。愛称と史実がここまでまっすぐつながっている神社は、全国を見渡してもそう多くありません。

秩父盆地の東寄り、黒谷の集落を見下ろす高台に鎮まる、こぢんまりとした佇まいのお社です。社殿は大きくありませんが、日本のお金の原点に直接つながる由緒の濃さでは、全国でも指折りの一社といえます。

社宝には、和銅献上の折に朝廷から賜ったと伝わる銅製の蜈蚣(むかで)雌雄一対が伝えられています。ムカデはその姿が坑道に似ることなどから鉱山の神の使いとされてきた生きもので、鉱山信仰の社らしい、由緒を裏付ける宝物です。

和同開珎と改元の物語

708年、武蔵国秩父郡から、精錬を要しないほど純度の高い自然銅「ニギアカガネ(和銅)」が見つかり、朝廷に献上されました。朝廷はこれを大いに喜び、元号を慶雲から「和銅」に改めたと伝えられています。

この和銅を用いて鋳造されたのが和同開珎です。それ以前の銭貨をめぐっては諸説ありますが、本格的に流通した日本の貨幣としては最初期のものとされ、日本のお金の歴史はこの秩父の銅から大きく動き出しました。

なお、和同開珎は「わどうかいちん」と読むのが一般的ですが、「わどうかいほう」と読む説もあります。教科書でもおなじみの貨幣の誕生に秩父の山が関わっていたという事実は、何度知っても新鮮です。

和同開珎の発行は、平城京への遷都を目前に控えた律令国家の大事業でもありました。朝廷は銭を鋳造する役所を設け、のちには銭を蓄えた者に位を授ける蓄銭叙位令を出して流通を促したと伝えられます。一枚の小さな銭の背後に、新しい国づくりの大きな物語があったのです。

「開珎」という名については、唐の貨幣「開元通宝」にならったとする見方が知られています。大陸の貨幣制度を手本にしながら、自前の通貨で国を立てようとした時代の熱意が、銭の名前からも伝わってきます。

千三百年前の一枚の銭に思いを馳せると、お金が労働と信用の積み重ねでできていることに気づかされます。その始まりの地で手を合わせることは、金運を願う前に、お金そのものへの感謝を確かめる時間になります。

和銅遺跡とセットの回り方

聖神社へは、秩父鉄道の和銅黒谷駅から歩いて5分ほど。駅名そのものが和銅の歴史を伝えています。まず社殿で参拝し、由緒書きや境内の和同開珎ゆかりの意匠をゆっくり眺めてください。

参拝のあとは、神社から山道を15分ほど歩いた先にある和銅採掘露天掘跡へ。自然銅を掘り出したと伝えられる跡が沢沿いに残り、埼玉県指定の旧跡になっています。沢のほとりには和同開珎をかたどった大きなモニュメントが立ち、記念撮影の名所にもなっています。

露天掘跡の斜面には、掘り進んだ跡と伝えられる筋が今も見て取れます。千三百年前の人々がここで銅を掘り出したのだと思いながら眺めると、教科書の中の一行が急に手触りを持ち始めます。史跡と神社が歩いて結べる距離にあることが、この参拝の何よりの持ち味です。

遺跡までは未舗装の山道を歩くため、歩きやすい靴が安心です。参拝と遺跡の往復を合わせて1時間から1時間半ほどが目安。秩父の札所巡りや温泉と組み合わせれば、日帰りでも満ち足りた小さな旅になります。

秩父は季節の彩りも豊かな土地です。新緑や紅葉の時期に合わせて、秩父神社の門前の街歩きや長瀞の渓谷散策を組み込めば、銭神様参りの一日がそのまま秋の小旅行になります。

金運祈願の心構え

銭神様への祈願も、「お金が増えますように」で終わらせず、「何のためのお金か」を心の中で言葉にするのがおすすめです。目的を名乗ると、祈りは自然と「そのために自分はこう働きます」という誓いに変わります。

参拝したからといって金運が保証されるわけではありません。ただ、日本の貨幣の始まりの地で手を合わせた記憶は、日々の支払いや家計の整え方に、静かな背筋を通してくれます。

宝くじの当選祈願で話題になることもある社ですが、射幸心だけの祈りは長続きしません。堅実な働きと感謝を土台に据えて、その上で運を願う。順序を守った祈りのほうが、結局のところ暮らしを確かに支えてくれるように思います。

願いが動き出したら、お礼参りも忘れずに。和銅の故事のように、恵みはまず感謝とともに受け取る。その順序を体で覚える場所として、聖神社はうってつけの社です。

あわせて、財布の中を整える、使途の分からない支出をひとつ減らす、といった小さな実践を持ち帰ると、参拝が暮らしの習慣につながります。銭神様への参拝は、お金の器を整える練習の始まりの一日になります。

金山彦命とはどんな神様か

金山彦命は古事記にも登場する鉱山の神で、鉱山や金属、鍛冶を司る神として、金属加工に携わる人々の信仰を集めてきました。総本宮は美濃国一宮の南宮大社とされます。

聖神社の中心の御祭神である金山彦命は、古事記にも登場する鉱山の神です。伊邪那美命が火の神を産んで病に伏したとき、その苦しみの中から金山毘古神・金山毘売神が生まれたと記されています。火と熱の苦しみから金属の神が生まれるという場面は、鉱石を火で溶かして金属を取り出す製錬の姿を映したものと考えられてきました。

金山彦命は、鉱山や金属、鍛冶を司る神として、鉱業や金属加工、刃物づくりなどに携わる人々の信仰を集めてきました。美濃国一宮の南宮大社(岐阜県)が、この神様を祀る全国の社の総本宮とされています。

鉱山の神への信仰は、たたら製鉄や鋳物の里など、金属とともに生きてきた土地に色濃く残っています。ふいごを使う職人たちが火の仕事の無事を祈る祭りを営んできたように、金属の仕事と祈りは長く一体のものでした。聖神社の由緒も、その大きな系譜の中にあります。

お金の材料である金属を司る神であることから、金運の神としての信仰にも自然につながりました。秩父の自然銅の発見に際してこの神様が祀られたのは、鉱山の神への感謝としてまっすぐな選択だったといえます。

聖神社に改元を行った元明天皇が併せ祀られていることも見逃せません。貨幣の発行を決めた当の天皇をお祀りすることで、この社の由緒は神話の世界だけでなく、実際の歴史とも直接つながっているのです。

秩父三社とあわせて巡る

秩父には、秩父神社・三峯神社・宝登山神社の三社を巡る「秩父三社参り」という参拝の形も親しまれています。聖神社への参拝を機に、秩父の祈りの土地をゆっくり巡ってみるのもおすすめです。

秩父神社は秩父地方の総鎮守とされる古社で、12月の例祭「秩父夜祭」は日本を代表する曳山祭のひとつとして名高いものです。三峯神社は狼を神様のお使いとする山上の社、宝登山神社は長瀞の山麓に鎮まる社で、それぞれに個性の異なる祈りの場です。

聖神社と秩父神社は同じ秩父鉄道の沿線にあり、組み合わせて参りやすい位置関係です。三峯神社は山深い場所にあるため、バスの時刻を確かめて別の日に充てるのも良い計画です。銭神様と三社、秩父の山と祭りの文化を丸ごと味わう小さな旅になります。

秩父はまた、三十四か所の観音霊場を巡る秩父札所でも知られる祈りの土地です。神社と札所、性格の異なる聖地が同じ盆地に共存してきたところに、この土地の信仰の厚みがあります。銭神様への参拝を入口に、秩父の祈りの風景を少しずつ歩いてみてください。

よくある質問

Q. 聖神社のご利益は何ですか。A. 金運招福や商売繁盛の祈願で知られ、宝くじの当選祈願に訪れる人が多いことでも話題になってきました。ただしご利益は保証されるものではなく、お金との健やかな関係を整える祈りと考えるのが良い付き合い方です。

Q. 和同開珎にちなんだお守りはありますか。A. 和同開珎をかたどったお守りや御朱印が授与されていることで知られています。授与品の内容は時期によって変わることがあるため、詳しくは社頭で確認してください。

Q. アクセスと所要時間を教えてください。A. 秩父鉄道・和銅黒谷駅から神社まで徒歩5分ほど、神社から和銅採掘露天掘跡までは山道を15分ほどです。参拝と遺跡見学を合わせて1時間から1時間半を見ておくと、ゆっくり回れます。

Q. 元号の「和銅」はいつまで続いたのですか。A. 和銅元年(708年)から和銅8年(715年)までです。この間に平城京への遷都(710年)が行われ、和同開珎の流通も進みました。秩父の銅が、日本の古代史の大きな節目に重なっていたことが分かります。

本記事は神社の由緒・一般的な参拝作法・古典に基づいて構成していますが、 ご利益や効果を保証するものではありません。悩みが深いときは、 信頼できる人や専門機関に相談することも大切にしてください。