出雲大社の正しい参拝方法|二拝四拍手一拝の作法と回り方
出雲大社の参拝作法は、一般的な「二拝二拍手一拝」ではなく「二拝四拍手一拝」です。これは御本殿だけでなく、境内の摂社・末社にお参りするときも同じとされています。もうひとつ大切なのが参道の歩き方で、大鳥居をくぐったらまず小さな祓社(はらえのやしろ)に立ち寄り、心身を祓ってから御本殿へ向かうのが古くからの習わしです。この記事では、縁結びの大神・大国主大神をまつる出雲大社の参拝ルートと作法、そして神在月の基礎までを順に案内します。
作法の結論。二拝四拍手一拝
拝礼の手順は、深いお辞儀を二回、胸の高さで拍手を四回、祈りを捧げたのち、最後に深いお辞儀を一回。この「二拝四拍手一拝」が出雲大社のならわしで、境内のどのお社でも同じ作法で拝礼します。
四拍手の理由について、出雲大社では、最も大きな祭典である5月14日の例祭で八回の拍手「八開手(やひらで)」を打つことと結びつけて説明されています。八は古くから無限を意味する数とされ、神様への限りない讃美を表す。日常の参拝では、その半分の四拍手でお讃えする、という考え方です。
うっかり二拍手してしまっても、やり直しを求められるものではありません。作法は敬意を形にする道具立てですから、間違いを恐れるより、一つひとつの所作を丁寧に行うことを大切にしてください。
拝礼の前に軽く姿勢を正し、息をひとつ整えてから始めると、所作は自然と丁寧になります。拍手は右手を少し下にずらして打つと音が良く響く、と案内されることもありますが、これも細部の話です。四回の拍手を、数を数える作業ではなく、神様への挨拶のひとつずつとして打つ。その心持ちがいちばんの作法といえます。
参道の歩き方。まず祓社で心身を清める
正門にあたる勢溜(せいだまり)の大鳥居をくぐると、全国でも珍しい下り坂の参道が始まります。その参道の右手にあるのが祓社です。小さなお社ですが、ここで祓戸の神々に心身の穢れを祓っていただいてから進むのが、出雲大社参拝の第一歩とされています。
祓橋を渡ると、樹齢数百年の松が並ぶ「松の参道」です。参道の中央は神様の通り道とされるため、左右に寄って歩きます。手水舎で手と口を清め、銅鳥居をくぐると、いよいよ御本殿のある荘厳な空間に入ります。
参道の脇には、大国主大神の神話の場面を象った銅像が立っています。兎に向き合う「御慈愛の御神像」は因幡の白兎の場面、両手を高く掲げる「ムスビの御神像」は海から寄り来る幸魂・奇魂を迎える場面と案内されており、参道を歩きながら神話を辿れる趣向です。
まず正面の拝殿でご挨拶し、その奥の八足門(やつあしもん)から御本殿を拝みます。御本殿は大社造の代表として国宝に指定される高さ24メートルの偉容ですが、通常は八足門までとなっており、門越しに二拝四拍手一拝を捧げます。
全国的にも珍しい下り参道の理由は明らかになっていませんが、神域へ静かに下りていく感覚は出雲大社ならではのものです。大社造の御本殿は日本最古級の神社建築様式と伝えられ、切妻・妻入りの力強い姿は、大陸の建築の影響を受ける以前の建て方の記憶を残すと語られます。瑞垣の外から千木や大屋根をさまざまな角度で仰げるのも、このお宮の楽しみです。
御本殿の周りを回る。西の遥拝場と素鵞社
八足門での拝礼で終えず、御本殿の周囲の瑞垣に沿ってゆっくり歩いてみてください。実は、御本殿内の御神座は参拝者と同じ南向きではなく、西を向いていると伝えられています。そのため本殿の西側には小さな遥拝場が設けられており、ここから拝むと大国主大神の正面から手を合わせる形になる、と案内されています。
御本殿の背後(北側)に鎮まるのが素鵞社(そがのやしろ)です。大国主大神の親神とされる素戔嗚尊をまつるお社で、八雲山を背にした一角は境内でもひときわ静かな祈りの場として、古くから篤い信仰を集めてきました。稲佐の浜の砂をお供えし、代わりに社の床下の御砂をいただいて帰るという習わしも広く親しまれています。これに倣う場合は、先に稲佐の浜へ寄る旅程にしてください。いただいた御砂は、家や土地を清めるお守りとして大切に扱うものと伝えられています。
最後に、境内の西にある神楽殿へ。長さ約13メートルと日本最大級の大注連縄は出雲大社の象徴として名高く、その太さを間近に見上げると、このお社の祈りの規模が実感できます。
神在月の基礎知識
旧暦10月、全国の八百万の神々が出雲に集い、人々の縁について神議りをすると伝えられてきました。諸国では神様が留守になる「神無月」、出雲では神々が居られる「神在月」。この呼び分けは出雲信仰の広がりをよく物語っています。
神々は稲佐の浜からお迎えされ、神迎祭に続いて一週間の神在祭が営まれます。この期間、御本殿の東西にある十九社(じゅうくしゃ)という細長いお社の扉が開かれます。十九社は集われた神々の宿所と伝えられており、扉の開くこの時期ならではの光景です。
神在祭の間、出雲の人々は神々の神議りを妨げないよう歌舞音曲を慎み、静かに過ごしてきたと伝えられます。この期間が「お忌みさん」とも呼ばれてきたことは、祭りがにぎわいだけでなく、慎みによっても支えられてきたことを物語っています。
神在祭の期間には、良縁を祈る縁結大祭も執り行われます(参列は事前申込制)。旧暦基準のため毎年日程が変わりますから、参拝を計画する場合は公式サイトで当年の日程を確認してください。
神在月の出雲は宿も交通も混み合いますが、祭りの期間ならではの張りつめた空気があります。一方で、静かに参拝したいなら、あえて時期を外すのも良い選択です。神々の集いの物語は、十九社の建物や稲佐の浜の風景など、どの季節に訪ねても境内の随所で思い出すことができます。
大国主大神という神。縁結びの由来
御祭神の大国主大神は、『古事記』の中で最も物語の豊かな神の一柱です。よく知られるのが因幡の白兎の話でしょう。鮫を欺いて皮を剥がれた兎に、兄弟の八十神は海水を浴びよと偽りの手当てを教えてさらに苦しめます。しかし大穴牟遅神(のちの大国主大神)だけは、真水で身を洗い蒲の花粉にくるまる正しい手当てを教えました。兎は「八上比売を得るのはあなたです」と告げます。
この一件で八十神の妬みを買った大穴牟遅神は、二度までも謀られて命を落としますが、神産巣日神の遣わした貝の女神たちに蘇らされます。そして須佐之男命の待つ根の堅州国での厳しい試練をくぐり抜けて、大国主の名と国を得ました。傷ついたものに手を差し伸べ、自らも死と再生を経て大きくなった神。その歩みそのものが、この神の人気の源です。
地上へ戻った大国主大神は、海の彼方から来た小さな神・少名毘古那神とともに国造りを成し遂げます。のちの国譲りに際しては、目に見えない世界の働き「幽事(かくりごと)」を司ることになったと伝えられます。人の縁もまた、目に見えないもの。大国主大神が縁結びの大神と仰がれる背景には、この幽事の伝えと、神々が出雲で縁を議るという神在月の信仰が重なっています。
「だいこくさま」の愛称で親しまれるのは、大国の字が「だいこく」とも読めることから、福の神の大黒天と重ねられてきた歴史によります。俵に乗り袋を担いだ姿は、神話の中で八十神の荷物をひとり背負って歩いた大穴牟遅神の姿とも重ね合わされてきました。
古代の高層神殿と宇豆柱
出雲大社の御本殿は現在でも高さ24メートルという破格の規模ですが、古代にはさらに高くそびえていたと伝えられてきました。平安時代の書物『口遊(くちずさみ)』には、大きな建物を「雲太、和二、京三」と数える言い回しが載ります。一番が出雲大社、二番が大和の東大寺大仏殿、三番が京の大極殿。都の大建築を差し置いて、出雲の社が筆頭に数えられていたのです。
長いあいだ誇張された伝説とも考えられてきましたが、平成12年(2000年)、境内から鎌倉時代のものとされる巨大な柱の根元が発掘されました。杉の大木を三本束ねて一本の柱としたもので、「宇豆柱」などと呼ばれるこの柱は、高層神殿の伝承を裏付ける可能性のある発見として大きな話題になりました。発掘された柱は、隣接する島根県立古代出雲歴史博物館で公開されていますので、参拝の前後に訪ねると伝承と発見が結びつきます。
八足門の前の地面には、発掘された柱の位置を示す印が残されています。御本殿を仰ぐとき、かつてこの何倍もの高さに神座があったと語り継がれてきたことを思い出してみてください。空にそびえる社を建ててまで神をまつろうとした人々の心の大きさこそ、出雲でいちばん仰ぎたいものかもしれません。
よくある質問
Q. 参拝の所要時間はどのくらいですか。A. 祓社から拝殿、八足門、本殿の周回、素鵞社、神楽殿まで巡って1時間から1時間半ほどが目安です。門前町の神門通りの散策や、稲佐の浜まで足を延ばすなら半日を見ておくとゆとりがあります。
Q. 出雲大社の縁結びは恋愛の縁だけですか。A. 恋愛に限らないとされています。大国主大神の結ぶ縁は、人と人、人と仕事、人と土地など、あらゆるつながりを指すと伝えられてきました。願う縁の形を自分の言葉で伝えて差し支えありません。
Q. アクセスを教えてください。A. 一畑電車の出雲大社前駅から徒歩数分、JR出雲市駅からはバスで25分ほどです。朝の境内は空気が澄み、参拝者も少なめですので、遠方から泊まりで訪ねるなら翌朝一番の参拝をおすすめします。
Q. 服装に決まりはありますか。A. 一般の参拝に決まりはありませんが、御本殿域は神聖な場ですので、極端に露出の多い服装は避けるのが無難です。御祈祷を受ける場合は、襟のある服などあらたまった装いが落ち着きます。境内は広く砂利道も多いため、歩きやすい靴が何よりの支度です。
