霧島神宮と天孫降臨の地|国宝の社殿と高千穂峰をあわせて歩く
霧島神宮(きりしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市に鎮座し、天孫降臨の主人公である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祀る古社です。本殿・幣殿・拝殿は2022年に国宝に指定されました。背後にそびえる高千穂峰は、古事記・日本書紀に記された天孫降臨の伝承地のひとつです。この記事では、神話のあらすじと国宝社殿の見どころ、高千穂峰まで含めた歩き方を紹介します。
天孫降臨とは|瓊瓊杵尊、地上へ降る
天孫降臨とは、天照大御神の孫・瓊瓊杵尊が高天原から地上へ降った物語です。三種の神器を授かり、筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺に天降ったと伝えられています。
天孫降臨とは、天照大御神の孫にあたる瓊瓊杵尊が、神々の住む高天原から地上へ降った物語です。国譲りによって葦原中国が平定されたのち、天照大御神は孫の瓊瓊杵尊に地上の統治を委ね、三種の神器を授けて送り出したと伝えられています。
古事記には、瓊瓊杵尊が「筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺」に天降ったと記されています。道中では猿田毘古神が先導役を務め、天児屋命ら五柱の神々が付き従いました。降臨の地とされる高千穂には、宮崎県の高千穂町とする説と、霧島の高千穂峰とする説があり、古くから二つの伝承地が並び立ってきました。
このとき授けられた三種の神器とは、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)です。とりわけ八咫鏡について、天照大御神は「この鏡を私の御魂として、私を拝むように祀りなさい」と告げたと伝えられています。姿の見えない神を、鏡を通して仰ぐ。神社の祭祀の原型ともいえる考え方が、この場面には示されています。
瓊瓊杵尊はやがて木花咲耶姫と結ばれ、その子孫から初代・神武天皇が生まれます。天孫降臨は、天上の神々の物語と地上の人の歴史をつなぐ、蝶番のような位置にある神話なのです。
猿田毘古神と天宇受売命|道開きの神々
降臨の場面には、印象深い前段があります。瓊瓊杵尊の一行が天降ろうとしたとき、天の八衢(やちまた)、すなわち天と地の分かれ道に、上は高天原を、下は葦原中国を照らすほどに光り輝く神が立ちはだかっていたのです。神々が固唾をのんで様子をうかがう中、その名を問いに遣わされたのが天宇受売命(あめのうずめのみこと)でした。
天の岩戸の前で舞った、あの天宇受売命です。物おじしない天宇受売命が問うと、その神は「私は国つ神の猿田毘古神(さるたびこのかみ)。天つ神の御子が天降られると聞き、先導を仕えようとお迎えに参りました」と名乗りました。行く手を塞ぐ異形の神が、実は道案内の神だったという展開には、この神話らしいおおらかさが漂います。
猿田毘古神は一行を無事に導いたのち、故郷の伊勢へ帰り、天宇受売命がこれを送ったと古事記は記しています。道の分かれ目に立って行き先を照らす猿田毘古神は、のちに「道開き」の神として仰がれるようになりました。新しい門出や転機に猿田毘古神を祀る神社へ参る習わしは、この場面に由来すると伝えられています。三重県鈴鹿市の椿大神社や伊勢の猿田彦神社など、猿田毘古神を主祭神とする社は今も篤い信仰を集めており、天孫降臨の物語は、こうした「みちひらき」の祈りの源流にもなっています。
笠沙の岬と木花咲耶姫|降臨のあとの物語
高千穂に降り立った瓊瓊杵尊は、笠沙の御前(みさき)で美しい娘に出会います。大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘・木花咲耶姫(このはなさくやびめ)です。瓊瓊杵尊が結婚を申し入れると、父の大山津見神は大いに喜び、姉の石長比売(いわながひめ)を添えて送り出しました。
ところが瓊瓊杵尊は、容姿の優れない石長比売を送り返してしまいます。大山津見神は「石長比売を召せば御子の命は岩のように永遠であったろうに。木花咲耶姫だけを留めたので、御子の命は木の花のように儚くなるだろう」と告げました。天皇の寿命が永遠でないのはこのためだと、古事記は記しています。
その後、木花咲耶姫は一夜にして身ごもり、疑いをかけられると、戸のない産屋に火を放ち、燃え盛る炎の中で三柱の御子を無事に産んで身の潔白を示しました。この御子の一人が、海幸山幸の物語の主人公となる火遠理命(山幸彦)です。霧島神宮に木花咲耶姫が相殿として祀られているのは、この物語ゆえのことです。
燃え盛る産屋の中で子を産むという物語を、火を噴く霧島の山々の麓で思い返すと、格別の響きがあります。火に焼かれてなお命が生まれる。噴火のたびに社殿を失いながら、そのたびに再建されてきた霧島神宮の歴史そのものが、この神話と重なって見えてくるからです。土地と神話が互いを照らし合う、霧島はそういう場所です。
霧島神宮の由緒と遷宮の歴史
霧島神宮は、瓊瓊杵尊を主祭神とし、木花咲耶姫尊や彦火火出見尊など、日向神話ゆかりの神々を相殿にお祀りしています。社伝によれば創祀は6世紀に遡ると伝えられる古社で、南九州を代表する崇敬の中心であり続けてきました。
この神社の歴史は、霧島山の噴火との闘いの歴史でもありました。社殿はもともと高千穂峰と御鉢の間に祀られていましたが、噴火による焼失を繰り返し、場所を移しながら再建されてきたと伝えられています。中世には高千穂河原からさらに麓へと遷り、その再興には性空上人(しょうくうしょうにん)が力を尽くしたという伝えも残ります。現在の地に鎮まる社殿は、正徳5年(1715年)、薩摩藩主・島津吉貴の寄進によって建立されたものです。
噴火のたびに焼け、そのたびに再び建てられてきた社殿の来歴を知ると、朱塗りの美しさの奥に、火山とともに生きてきた土地の祈りの厚みが見えてきます。再建を支えたのは、島津氏をはじめとする土地の領主と人々の崇敬でした。神話の山を仰ぎながら、火の脅威と向き合い続けてきた人々の営みが、この神社の由緒そのものなのです。
国宝の社殿|「西の日光」と称される装飾美
霧島神宮の本殿・幣殿・拝殿は、2022年に国宝に指定されました。傾斜地を活かして拝殿から本殿へと建物が階段状に連なる構成で、最も高い位置に鎮まる本殿は、朱漆塗りに極彩色の装飾が施され、その華麗さから「西の日光」と称されることもあります。
参拝の際は、まず大鳥居から続く参道の杉木立を味わってください。石段を上って社殿の前に立つと、背後の山の緑に朱塗りが映える眺めが広がります。境内には樹齢約800年と伝わる御神木の大杉がそびえ、展望所からは天気が良ければ桜島まで見渡せます。
拝礼は基本の二拝二拍手一拝です。国宝指定後は参拝者が増えていますので、静けさを味わいたい方には朝の早い時間の参拝をおすすめします。霧島という名の通り、この一帯は霧の多い土地です。朝霧に包まれた参道や、霧の晴れ間に現れる朱の社殿に出会えたなら、それはこの神社のいちばん美しい顔のひとつです。
参拝のあとは、霧島温泉郷で旅の疲れを癒す組み立てが定番です。霧島一帯は古くからの湯の里で、山の湯けむりと神話の社をあわせて巡る旅は、南九州ならではの味わいがあります。一泊して翌朝に高千穂河原まで足を延ばせば、神話の舞台を時間に追われず歩くことができます。
高千穂峰と古宮址|神話の舞台を歩く
霧島神宮の参拝とあわせて訪ねたいのが、高千穂河原の古宮址(ふるみやあと)です。ここはかつて社殿が祀られていた旧鎮座地のひとつで、今も高千穂峰を仰ぐ祭祀の場として保たれ、霧島神宮の祭事の場ともなっています。霧島神宮から車で20分ほどです。
体力と装備に余裕があれば、高千穂河原を起点に高千穂峰(標高1574メートル)への登山もできます。山頂には「天の逆鉾(あまのさかほこ)」と呼ばれる鉾が立ち、幕末に坂本龍馬が新婚旅行で登ったという逸話でも知られます。往復4〜5時間の本格的な火山登山のため、登山靴と雨具、飲み水を必ず用意し、火山情報と天候を事前に確認してください。登山道の状況や火山活動による規制の有無は、高千穂河原の案内所や自治体の発表で当日までに確かめておくと安心です。赤茶けた火山礫の斜面を一歩ずつ登り、稜線から霧島連山と桜島を見渡す眺めは、神話の舞台に立ったことを実感させてくれます。
社殿の朱、古宮址の静けさ、山頂の風。三つを歩き通すと、天孫降臨という物語が、書物の中の話ではなく、この土地の風景そのものとして立ち上がってくるのを感じられるはずです。参拝と登山を一日に収めるのは慌ただしいので、社殿は初日に、山は翌日にと分けるのが、この土地の味わい方としても理に適っています。
よくある質問
Q. 天孫降臨の地は宮崎の高千穂と霧島のどちらなのですか。A. 古くから両説があり、どちらとも定められていません。宮崎県高千穂町には天岩戸神社などの神話の伝承地が、霧島には高千穂峰と霧島神宮があり、それぞれの土地が降臨の伝承を大切に守り伝えています。二つの伝承地を巡り比べる旅も味わい深いものです。
Q. 霧島神宮へのアクセスは。A. 公共交通ではJR日豊本線の霧島神宮駅からバスやタクシーで10分ほどです。高千穂河原へ向かう交通は本数が限られるため、古宮址や登山口まであわせて巡るなら車が便利です。
Q. 登山をしなくても高千穂峰は見られますか。A. 見られます。霧島神宮の境内や高千穂河原からも、天気が良ければ山容を仰げます。古宮址から山を仰いで手を合わせるだけでも、この土地の信仰の形に触れることができます。
Q. 霧島神宮のほかにも、霧島には神話ゆかりの神社がありますか。A. あります。霧島山を囲むように、霧島東神社や東霧島(つまきりしま)神社など、瓊瓊杵尊ゆかりの社が点在し、古くは霧島六社権現と総称されたと伝えられています。時間に余裕があれば、山麓の社を巡って霧島信仰の広がりを辿るのも一興です。
