熊野三山巡りの順番とは|本宮・速玉・那智の回り方と大斎原
熊野三山とは、和歌山県南部に鎮まる熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社の総称です。巡る順番に厳密な決まりはありませんが、熊野古道が本宮を目指して延びていることから、古くからの参詣の流れに沿うなら本宮、速玉、那智の順と伝えられています。三社は互いに20〜40キロほど離れており、車なら一日でも巡れます。この記事では、順番の考え方と回り方を紹介します。
熊野三山の位置関係と巡る順番の考え方
熊野本宮大社は紀伊山地の山あい、熊野川の川筋に鎮まり、熊野速玉大社は熊野川の河口の新宮市街に、熊野那智大社は那智の山の中腹に鎮座します。三社は熊野古道中辺路で結ばれ、川と海と山、それぞれ異なる祈りの風景を持っています。旅の起点としては、鉄道なら紀勢本線の新宮駅や紀伊勝浦駅、車なら白浜方面から山越えで本宮に入る道筋が使いやすく、どこを玄関にするかで自然と巡る順番も定まってきます。
京の都から詣でた中世の参詣者は、中辺路を歩いてまず本宮に至り、熊野川を舟で下って速玉へ、海沿いを経て那智へと巡ったと伝えられています。本宮、速玉、那智という順番は、この歴史の道筋に沿った巡り方です。
一方で、現代の交通事情では逆回りにも利点があります。那智勝浦や新宮の市街地に宿を取り、那智、速玉、本宮の順に海側から山側へ巡ると移動の組み立てがしやすい、という考え方です。どちらの順でも失礼にはあたりません。大切なのは順番そのものより、一社ごとに落ち着いて手を合わせることです。
なお、熊野へ通じる道は中辺路だけではありません。紀伊半島の西岸を南下する紀伊路と大辺路、高野山から山中を貫く小辺路、伊勢神宮の方角から続く伊勢路。幾筋もの道がすべて熊野を目指して集まってくる姿は、この地への信仰の広がりをそのまま地図に描いたようです。どの道の面影を辿るかで、旅の趣も変わってきます。
熊野本宮大社と大斎原
熊野本宮大社は、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)を主祭神とする熊野信仰の中心地です。全国に広がる熊野神社の総本宮であり、158段の石段を上った先、杉木立に包まれた境内に、檜皮葺の社殿が静かに並びます。八咫烏の意匠が境内の随所に見られるのも本宮らしい風景です。
本宮を訪ねたら、必ず旧社地の大斎原(おおゆのはら)まで足を延ばしてください。社殿はもともと熊野川の中州にありましたが、明治22年の大水害で被災し、現在の高台に遷されました。旧社地には高さ約34メートルの日本有数の大鳥居が立ち、川と山に抱かれた広々とした静けさが今も祈りの気配をたたえています。本宮から徒歩10分ほどです。水害の前の大斎原には、現在の社地よりはるかに大きな規模で社殿や楼門が立ち並んでいたと伝えられています。今は社殿のない広い草地に立つと、かえって往時の姿を想像する余白が生まれ、この場所が長く熊野詣の目的地であり続けた理由が、体で感じられるように思います。
時間に余裕があれば、熊野古道の発心門王子から本宮までの約7キロを歩くコースが、古道歩きの入門として親しまれています。バスで発心門王子まで上がり、3時間ほどかけて本宮へ下る行程です。
熊野速玉大社と熊野那智大社
熊野速玉大社は、熊野川の河口近くに鎮まる朱塗りの社です。熊野速玉大神と熊野夫須美大神を主祭神とし、境内には樹齢千年と伝わる梛(なぎ)の御神木が立ちます。梛の葉は葉脈が切れにくいことから、縁が切れないお守りとして古くから大切にされてきました。
速玉大社に参るなら、摂社の神倉神社(かみくらじんじゃ)にもぜひ足を延ばしてください。新宮の街を見下ろす山上に、ゴトビキ岩と呼ばれる巨岩を御神体として祀る古社で、熊野の神々が最初に降臨した地と伝えられています。538段と伝わる急な石段を上る参拝は少し骨が折れますが、岩と海と街を一望する眺めは、熊野信仰の原点である巨岩への畏れを実感させてくれます。
また、本宮と速玉を結ぶ熊野川は、かつて参詣者が舟で下った「川の参詣道」として、世界遺産にも登録されています。中世の上皇たちも本宮参拝ののちは川を下って速玉へ向かったと伝えられ、現在も川舟下りの観光船が運航される時期があります。水量や天候に左右されるため事前確認が必要ですが、舟の上から熊野の山々を仰ぐ参詣の追体験は、この土地ならではのものです。
熊野那智大社は、467段の石段を上った標高約330メートルの山腹に鎮座します。熊野夫須美大神を主祭神とし、社殿からは那智の山々が一望できます。那智信仰の源は、落差133メートルを誇る那智御瀧です。滝そのものを御神体とする飛瀧神社(ひろうじんじゃ)が滝前に鎮まり、那智大社への参拝とあわせてお参りするのが習わしです。
那智へ参るなら、大門坂から歩いて上るのがおすすめです。樹齢数百年と伝わる杉並木の間を、苔むした石畳の道が約600メートル続き、往時の参詣の面影を最もよく残す区間とされています。坂の入り口から那智大社までは40分ほど。歩きやすい靴であれば、旅の記憶に深く残る道行きになるはずです。
車で巡る場合、本宮と速玉の間が約40分、速玉と那智の間が約30分が目安です。一日で三社を巡ることもできますが、各社での滞在と大斎原、那智の滝を含めると、朝早くの出発が欠かせません。一泊二日でゆったり巡る計画も検討してみてください。
熊野の神々|三社が祀り合う信仰のかたち
三社の御祭神は、古くから記紀の神々と結びつけて語られてきました。本宮の家都美御子大神は一説に素戔嗚尊と、速玉の熊野速玉大神は伊邪那岐命と、那智の熊野夫須美大神は伊邪那美命と同一視されてきたと伝えられます。それぞれの解釈には諸説ありますが、熊野の神々が日本神話の根幹の神々と重ねて仰がれてきたことは確かです。
興味深いのは、三社が互いの主祭神を祀り合っていることです。本宮に参れば速玉と那智の神々にも、那智に参れば本宮と速玉の神々にも手を合わせられるよう、各社の社殿には熊野の神々が揃ってお祀りされています。三社は競い合う関係ではなく、三つでひとつの信仰圏を成しているのです。
また熊野は、死と再生の聖地とも呼ばれてきました。山深い熊野に分け入ることは一度死んで生まれ変わることだと観念され、浄土信仰と結びついた中世には、熊野へ詣でること自体が甦りの儀式とされたと伝えられます。三社を巡り終えて帰路につくとき、どこか身の内が入れ替わったような清々しさを覚えるのは、この土地が長く「甦りの地」であり続けてきたからかもしれません。
青岸渡寺と神仏習合の名残
熊野那智大社のすぐ隣には、天台宗の寺院・青岸渡寺(せいがんとじ)が堂宇を構えています。西国三十三所観音巡礼の第一番札所として知られ、朱塗りの三重塔と那智の滝を一望に収める風景は、熊野を代表する眺めのひとつです。
神社と寺院が隣り合って建つのは、神と仏を一体のものとして拝んだ神仏習合の長い歴史の名残です。明治の神仏分離まで、熊野三山は神社と寺院が渾然一体となった霊場でした。青岸渡寺はその面影を今に伝える貴重な存在です。
参拝の作法は、那智大社では二拝二拍手一拝、青岸渡寺では拍手を打たず静かに合掌と、それぞれの流儀に従ってください。両方をお参りしても、どちらにも失礼にはあたりません。神と仏が長く共に祀られてきた熊野では、その両方に手を合わせることこそが、この土地の祈りの形に適っているともいえます。
蟻の熊野詣|千年続いてきた参詣の歴史
熊野参詣の歴史をひもとくと、院政期の熊野御幸に行き当たります。上皇や法皇が京から熊野まで、片道数百キロの道のりを幾度も往復した大規模な参詣で、白河上皇や後白河上皇、後鳥羽上皇らが繰り返し熊野へ詣でたと伝えられています。都の最高権力者たちが、険しい山道を越えてまで目指した聖地。それが熊野でした。
やがて参詣の裾野は貴族から武士へ、庶民へと広がります。老若男女が列をなして熊野道を行き交う様子は「蟻の熊野詣」と呼ばれたと伝えられます。熊野は身分の上下や男女の別を問わず参詣者を受け入れたとされ、その懐の深さこそが、熊野信仰がこれほど広く長く続いてきた理由のひとつと考えられています。
2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として、熊野三山と熊野古道などがユネスコの世界遺産に登録されました。霊場だけでなく、そこへ至る道そのものが登録されたことは世界でも珍しい例とされています。三社を巡るとき、私たちは千年分の参詣者の足跡の上を歩いている。そう思うと、一歩一歩の重みが少し変わって感じられます。
よくある質問
Q. 熊野三山は公共交通機関だけで巡れますか。A. 巡れます。新宮駅・紀伊勝浦駅を起点に路線バスが三社を結んでいますが、本数が限られるため、事前の時刻確認が欠かせません。効率を求めるなら車、旅情を求めるならバスと古道歩きの組み合わせがおすすめです。
Q. 三社すべてを巡らないとご利益がないのでしょうか。A. そのようなことはないとされています。三社はそれぞれの主祭神を互いに祀り合っており、一社への参拝でも熊野の神々に手を合わせることができます。ご縁のあった社から、無理のない範囲でお参りください。
Q. 熊野古道を歩くなら、どの区間が初心者向けですか。A. 発心門王子から熊野本宮大社までの約7キロが、比較的緩やかな下り基調で歩きやすい区間として知られています。歩き慣れた靴と雨具、飲み水の用意を忘れずに。
Q. 参拝の服装や持ち物で気をつけることはありますか。A. 三社とも石段が長く続くため、歩きやすい靴が第一です。紀伊山地は天気が変わりやすいので雨具を携え、夏は水分を多めに、冬の本宮周辺は山あいの冷え込みに備えてください。大門坂や古道を歩く場合は、両手の空くかばんが安心です。


