菊理媛神とは?白山比咩神社にまつられる「縁を括る」和解の神

菊理媛神(くくりひめのかみ)とは、『日本書紀』の一書(異伝)にただ一度だけ登場し、黄泉平坂で言い争うイザナギ・イザナミ二神の間を取りもったと伝えられる女神です。その名の「くくり」は「括り」、すなわち縁を括り結ぶ意に通じると解され、古くから和解と縁結びの神として信仰されてきました。石川県の白山比咩神社では、白山比咩大神としてこの神をまつります。こじれた人間関係に悩む人が心を寄せてきた、日本神話でも指折りの静かな神様を紹介します。

たった一度だけ登場する女神

菊理媛神は、『古事記』には登場しません。『日本書紀』の本文にも現れず、第五段の一書、つまり異伝としてそっと書き留められているだけの神です。それなのに全国で篤く信仰されてきたのですから、不思議な存在といえます。

場面は、亡き妻イザナミを追って黄泉の国へ下ったイザナギが、変わり果てた姿を見て逃げ帰るくだりです。黄泉平坂(よもつひらさか)で追いついたイザナミと言い争いになったそのとき、菊理媛神が現れて何事かを申し上げ、イザナギはそれを聞いて褒め称えた、と一書は記します。

驚くべきことに、菊理媛神が何を言ったのかは、書かれていません。ただ「白す事あり」、申し上げることがあった、とだけ。この余白こそが、この神の最大の魅力だと語り継がれてきました。

「一書」とは、『日本書紀』が本文と並べて書き留めた別伝のことです。『日本書紀』は一つの出来事について「一書に曰く」と断って複数の伝えを併記する編纂方式をとっており、菊理媛神はその異伝の一つにだけ姿を見せます。同じ一書には、イザナミの言葉を取り次いだ泉守道者(よもつちもりびと)という存在も登場しています。この伝えが、別れの場面に「取り次ぐ者」「取りなす者」を置いた物語であることが分かります。正伝ではなく異伝の中にだけ名を残した神が、これほど長く信仰されてきた例は多くありません。

神社の由緒書きや解説の中には、菊理媛神を『古事記』の神として紹介するものも見かけますが、正しくは『日本書紀』の一書のみに登場する神です。この一点は、菊理媛神を語るうえでの土台として、はっきり押さえておきたいところです。

何を言ったかが書かれていない、という深み

生者と死者、別れゆく夫婦という、これ以上ないほどこじれた場面です。そこで発せられた言葉が、争いを鎮め、イザナギに褒められた。内容が伏せられているために、後世の人々は「二神を仲直りさせた言葉だったのだろう」と想像を重ね、菊理媛神を和解の神、仲執り持ちの神として仰ぐようになりました。

考えてみれば、もめごとを収める言葉は、当事者の間だけで交わされるのがいちばん良いのかもしれません。第三者に中身を明かされない仲裁だからこそ、双方の面目が立つ。書かれなかったことが、かえってこの神の働きの本質を伝えているようにも読めます。

「くくり」の名は、ばらばらになった糸を括ってまとめる意に通じると解されてきました。切れかけた縁を括り直す神。一説には、聞き分ける意の「聞き入れ」に由来するともいわれますが、いずれにしても、対立の間に立つ神という性格は変わりません。

『古事記』の黄泉平坂と読み比べると、この一書の個性はいっそう際立ちます。『古事記』では、二神は千引の岩を挟んで直接言葉を交わします。イザナミが「あなたの国の人を一日に千人絞め殺す」と言えば、イザナギが「ならば一日に千五百の産屋を建てよう」と答える、激しい応酬で別れが語られます。仲立ちする者のいない別れと、菊理媛神が間に立つ別れ。二つの語りを並べたとき、取りなす者がいることの重みが、静かに浮かび上がってきます。

謎の多い神であるだけに、菊理媛神には後世、さまざまな解釈が重ねられてきました。読み解きの諸説に出会ったときは、『日本書紀』の一書に書かれているのは短い一場面だけ、という原点に立ち返ってみてください。古くからの伝えと、後から加えられた想像とを見分ける、確かな足場になります。

白山比咩神社。しらやまさんの総本宮

菊理媛神を白山比咩大神としてまつるのが、石川県白山市の白山比咩神社です。霊峰白山を御神体とし、全国に約三千社あるといわれる白山神社の総本宮。加賀一ノ宮として「しらやまさん」の愛称で親しまれてきました。御祭神は白山比咩大神こと菊理媛尊と、伊弉諾尊伊弉冉尊。取りもった神と、取りもたれた二神が、同じお社に並んでまつられています。

樹齢千年を超える杉や欅の茂る表参道は北陸有数の清らかな杜で、白山の伏流水が湧く手水も名高いところです。毎月一日の「おついたちまいり」には早朝から多くの参拝者が訪れ、月に一度、心を整えに通う信仰が今も息づいています。

参拝は、一の鳥居から木々の下の表参道を歩いて上がるのがおすすめです。老杉の並木と水音に包まれ、歩くほどに心が静まっていく道のりは、和解の神に会いに行く助走として、これ以上ないものです。全国の白山神社は東北から九州まで広く分布しており、お住まいの近くの白山さまも、たどればこの霊峰と黄泉平坂の一書につながっています。総本宮まで行けない日は、近くの白山神社に参る。それもまた立派な白山詣です。

白山への信仰は、山の雪解け水が田畑を潤すことへの感謝に根ざすと伝えられます。人と人の間を取りもつ神が、山と里の間を取りもつ水の恵みとともに仰がれてきたことは、偶然ではないように思えます。

泰澄と白山開山。信仰の広がり

白山の信仰を大きく広げた人物として伝えられるのが、奈良時代の修行僧・泰澄(たいちょう)です。養老元年(717年)に白山に登り、山頂で神の姿を感得したと伝えられ、これが白山開山の物語として語り継がれてきました。以後の白山は、神の山であると同時に修行の山として、多くの行者を迎えることになります。

山岳の信仰と仏教が結びついた白山信仰は、加賀・越前・美濃の三方向から山頂を目指す登拝の道とともに発展し、それぞれの登り口に拠点となる社寺が栄えました。白山比咩神社は、このうち加賀側の拠点の系譜を継ぐ社です。明治の神仏分離を経て、白山の神は菊理媛神すなわち白山比咩大神として、全国の白山神社にまつられるかたちが整いました。

泰澄が感得した神は白山妙理大権現と呼ばれ、菊理媛神と重ねられてきました。『日本書紀』の一書の女神と雪の霊峰の神が、どのような経緯で結びついたのかには諸説あります。ただ、間を取りもつ女神の名が、神と仏、山と里の間を千三百年取りもってきた信仰の山に冠されていることは、出来すぎなほど似つかわしい取り合わせに思えます。

白山比咩神社の奥宮は、白山の御前峰の山頂に鎮まります。夏山の季節には山頂の奥宮まで登拝する参拝者の姿もあり、山そのものを仰ぐ信仰が今も生きています。登山の装備と経験が要る道ですから、多くの参拝者にとっては、麓の本社と境内の遥拝所から白山を仰ぐのが現実的な参り方です。

人間関係の祈りにどう結びつけるか

菊理媛神への祈りは、こじれた関係の修復を願う場面にふさわしいと伝えられてきました。ただしおすすめしたいのは、「あの人が謝ってくれますように」ではなく、「相手の言い分を一度最後まで聞きます」と、自分の行動を誓う形です。菊理媛神の働きが「双方の言い分の間に立つ」ことだったのなら、私たちがまず倣うべきは、聞くことのほうだからです。

職場の対立、家族との行き違い、疎遠になった友人。すべての関係が元通りになるとは限りませんし、距離を置くことが最善の場合もあります。それでも、憎しみのまま切るのと、括り直せるだけ括ってから手放すのとでは、その後の心持ちがまるで違います。

黄泉平坂の場面も、実は「復縁」では終わりません。二神は別れの言葉を交わし、それぞれの道を歩みます。菊理媛神が取りもったのは、関係の継続ではなく、別れ方の品位だったともいえるのです。和解とは元に戻ることだけを指さない。この神話の結末は、人間関係に悩む私たちへの深い示唆になっています。

和解の女神の言葉が記録されなかったように、実生活のもめごとの解決も、多くは記録に残らない小さな取りなしに支えられています。両方の話を黙って聞いた人、席の並びをそっと変えた人、余計なひとことを飲み込んだ人。名もなき仲裁者たちの長い系譜の先頭に、この女神は立っているのかもしれません。参拝の帰り道、自分もその系譜の端に連なってみようと思えたなら、それがこの神様からのいちばんの授かりものです。

よくある質問

Q. 菊理媛神は縁結びの神ですか、縁切りの神ですか。A. 「くくる」の名から、縁を結び直す和合・縁結びの神として信仰されてきました。同時に、黄泉平坂の物語が示すように、健やかに別れるための区切りを与える神とも解されます。結ぶ・切るの二択ではなく、縁を整える神と捉えるのが実像に近いといえます。

Q. 白山比咩神社へはどう行けばよいですか。A. 石川県白山市に鎮座し、北陸鉄道石川線の鶴来駅からバスまたは車です。表参道の杜は朝の参拝が格別とされています。奥宮は白山山頂に鎮まり、登拝できない人のために境内に遥拝所が設けられています。

Q. お参りすれば人間関係は良くなりますか。A. ご利益が保証されるわけではありません。ただ、和解の神の前で「まず聞く」と誓う時間は、感情の絡まった問題に向き合う姿勢を確かに変えてくれます。祈りと、翌日からの小さな実践をひと続きに考えてください。

Q. 菊理媛神と菊の花は関係がありますか。A. 直接の関係はないと考えられています。「くくり」という音に菊の字を当てたものと解するのが一般的で、名の由来は「括る」や「聞き入れる」に求める説が語られてきました。菊の意匠と結びつけた解説を見かけたら、後からの連想かもしれないと一歩引いて眺めるのがよいでしょう。

本記事は神社の由緒・一般的な参拝作法・古典に基づいて構成していますが、 ご利益や効果を保証するものではありません。悩みが深いときは、 信頼できる人や専門機関に相談することも大切にしてください。