人間関係に疲れたら熊野詣へ|大斎原と熊野古道を歩くよみがえりの旅
人間関係に疲れたとき、熊野が答えになり得るのは、ここが千年にわたり「よみがえりの聖地」として、身分や立場を問わずあらゆる人を受け入れてきた土地だからです。熊野本宮大社の旧社地・大斎原には高さ約34メートル、日本一の高さと称される大鳥居が立ち、そこへ至る熊野古道は、歩くこと自体が禊とされてきた道です。この記事では、なぜ熊野なのか、大斎原で何を感じられるのか、無理のない歩き方までを紹介します。
熊野が「よみがえりの聖地」と呼ばれる理由
紀伊半島南部の熊野三山とは、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社のことです。平安時代の上皇たちの熊野御幸に始まり、やがて「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど庶民が列をなして参詣した聖地です。「蟻の熊野詣」とは、列をなして山道を行く参詣者の姿を蟻の行列にたとえた言葉で、位の高い人も庶民も、同じ道を同じように歩きました。熊野の信仰の大きな特徴は、浄不浄や身分を問わず、誰をも受け入れてきたことだと伝えられています。
熊野は死者の魂の赴く地とも観念され、そこへ詣でて帰ることは、一度死んで生まれ直す「擬死再生」の旅とされてきました。つまり熊野詣とは、今の自分をいったん置いて、新しい自分で帰ってくるための旅です。人間関係の疲れの多くは、評価される場に居続けた疲れです。何者であるかを問われない場所に身を置くこと自体が、回復の第一歩になります。熊野が千年間受け入れてきたのは、まさにそういう人たちでした。
熊野の懐の深さを示す話として、高野山や大峯の山々が長く女人禁制だった時代にも、熊野は女性の参詣を受け入れてきたことが挙げられます。和泉式部の参詣譚をはじめ、女性と熊野を結ぶ物語は数多く残され、貴賤も男女も浄不浄も問わないおおらかさは、熊野信仰の心として今日まで語り継がれています。疲れた人がそのままの姿で歩き出せる場所は、実はそう多くありません。熊野は千年前から、その数少ないひとつであり続けています。
よみがえりの旅に、特別な資格も深い信心も要りません。神話に詳しくなくても、熊野は歩く者を選ばずに迎えてきました。必要なのは、歩ける靴と、少しまとまった時間だけ。それがこの聖地の、千年変わらない敷居の低さです。
大斎原|日本一の大鳥居が立つ祈りの原点
熊野本宮大社の社殿は、もとは熊野川・音無川・岩田川の合流点にある中州「大斎原」にありました。明治22年の大水害で社殿の多くが流失し、水難を免れた社殿を現在の高台に遷して今の本宮大社があります。旧社地の大斎原には、平成12年に建立された高さ約34メートル、日本一の高さと称される大鳥居が立ち、今も聖地として大切に守られています。
現在の本宮大社で参拝を終えたら、ぜひ大斎原まで歩いてください。田園の中に大鳥居が現れ、その先には社殿のない広々とした森と草地が広がるばかりです。建物がないからこそ、川と山に抱かれたこの場所そのものが祈りの対象だったことが、体でわかります。かつての参詣者は社地の前を流れる音無川を歩いて渡り、水に足を浸すことで身を清めてから神前に進んだと伝えられています。腰を下ろして、風の音だけを聞く時間を旅程の中に必ず確保してください。
大斎原は今も神域として大切に守られています。広々とした草地に見えても、行楽の場所ではなく祈りの場ですから、飲食や大きな声は慎み、静かに過ごすのが礼儀です。例大祭の折には本宮大社からこの旧社地へ神輿が渡ると伝えられ、大斎原が祭りの中心に返り咲きます。移されたのは社殿であって、聖地そのものは今もここにある。その感覚が、この場所の静けさの正体です。
歩くことが禊になる|熊野古道の歩き方
熊野詣の核心は、社殿での参拝だけでなく、そこへ至る道を歩くことにあります。長い道のりをひたすら歩くうちに、頭の中を占めていた誰かの顔や言葉が、少しずつ足音と呼吸に置き換わっていく。この過程そのものが禊であり祓いだと考えられてきました。悩みを解決する前に、悩みを考え続ける体力を使い切ってしまう、と言い換えてもよいかもしれません。
初めてなら、発心門王子から熊野本宮大社までの約7キロがおすすめです。熊野古道中辺路の最終区間にあたり、比較的歩きやすく、3時間ほどで本宮の裏参道へと至ります。バスで発心門王子まで上がり、本宮へ下っていく行程なら、体力に自信がない方でも無理がありません。装備は軽い山歩きに準じ、歩き慣れた靴、雨具、飲み水を必ず。石畳は雨に濡れると滑るため、雨の翌日はことに慎重に歩いてください。
歩く日は、朝のうちに出発するのが鉄則です。夏は暑さを避けるため、冬は日暮れの早さに備えるため。そして歩き終えた夜は、早めに休んでください。よく歩き、よく食べ、よく眠る。よみがえりの正体は、案外そういう単純なことの積み重ねなのかもしれません。
九十九王子|祈りの中継点を辿る道
中辺路の道筋には、九十九王子と呼ばれる小さな社や祠の跡が点々と続いています。九十九は実数ではなく「数多くの」を表す言い方で、参詣者はそのひとつひとつで手を合わせ、歌を詠み、休みながら歩を進めました。数え切れないほどの祈りの中継点があったからこそ、都から続く長い道のりは、果てのない苦行ではなく、区切りのある巡礼になったのです。
そのうち発心門王子は、格式の高い五体王子のひとつに数えられ、その名の通り、ここから先が本宮の聖域への入り口とされてきました。鳥居をくぐって「発心」、すなわち歩き始める心を定める。現代の私たちが発心門王子から歩き出すコースを選ぶことは、期せずして、いにしえの参詣者と同じ心の手順を踏むことでもあります。
八咫烏|道に迷った者を導く神使
熊野のシンボルとして知られるのが、三本足の烏、八咫烏です。古事記には、のちに初代天皇となる神倭伊波礼毘古命の一行が、熊野の山中で進むべき道を失った場面が描かれます。高木大神が「これより奥は荒ぶる神が多い。天から八咫烏を遣わすので、その導きに従って進め」と告げ、八咫烏の先導によって一行が大和へ至ったと記されています。熊野は、道に迷った者が導きを得て再び歩き出す場所として、神話の時代から描かれてきたのです。
よみがえりの聖地の使いが、導きの鳥であることは象徴的です。熊野三山の授与品や幟には八咫烏の意匠が施され、サッカー日本代表の紋章に採用されていることでも広く知られています。人生の岐路に立って熊野を訪ねる人は、昔も今も、この烏の紋にどこか励まされて帰っていきます。行き先が見えなくなったときこそ、導きの神使の物語を持つ土地を歩く意味があるのかもしれません。
本宮大社の境内をはじめ、熊野では各所で八咫烏の姿を見つけられます。参拝の折には、その三本の足にも目を留めてみてください。天・地・人を表すなど諸説が語られますが、いずれにせよ、迷う人間のために遣わされた鳥であることに変わりはありません。
那智の滝と、帰ってからの過ごし方
時間が許せば、熊野那智大社と那智の滝まで足を延ばしてください。落差133メートルの那智御瀧は滝そのものが御神体としてお祀りされ、飛瀧神社の拝所では、水音というより地響きに近い滝の音を全身で浴びられます。言葉にならないものの前に立つ経験は、言葉に疲れた心の何よりの薬になります。また、湯の峰温泉のつぼ湯は、参詣者が湯垢離と呼ばれる湯の清めを行ったと伝えられる小さな岩風呂で、温泉として世界遺産に登録された珍しい存在として知られています。歩いた体を湯で癒すことまで含めて、熊野詣は昔から心身をまるごと立て直す旅でした。熊野三山のもう一社、熊野速玉大社は新宮の町なかに鎮座し、朱塗りの社殿と御神木の梛の大樹で知られています。梛の葉は葉脈が縦に通っていてちぎれにくいことから、良い縁が切れないお守りとして参詣者が持ち帰ったと伝えられています。
旅から戻っても、職場や家庭の人間関係そのものが変わるわけではありません。変わるのは受け止める自分の側です。旅の効果を保つために、日常にも「歩く時間」を残してください。一駅分歩く、昼休みに神社の境内を通る。それだけで、あの道の続きを歩いている感覚が保てます。距離を取ることは逃げではなく、熊野へ旅立った昔の人々と同じ、まっとうな養生です。旅の写真を一枚だけ選んで、机の見える場所に置いておくのもよい方法です。目に入るたびに、あの道の静けさが数秒だけ戻ってきます。つらさが長く続くときは、参拝とあわせて、信頼できる人や専門の相談窓口を頼ることもためらわないでください。
よくある質問
Q. 熊野三山とは何ですか。A. 熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社の総称です。三社を結ぶ参詣道が熊野古道で、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されています。三社は互いに離れているため、すべて巡るなら一泊二日以上の旅程が現実的です。
Q. 歩かないと参拝の意味がありませんか。A. そんなことはありません。三社とも車やバスで参拝できます。ただ、短い区間でも自分の足で歩くと、熊野詣が本来持っていた「道を行くこと自体が祈りになる」という味わいに触れられます。発心門王子からの7キロが難しければ、本宮から大斎原までの徒歩だけでも十分です。
Q. どの季節がおすすめですか。A. 歩くことが主目的なら、暑さの和らぐ秋から春が歩きやすい季節です。夏に訪ねる場合は、朝の涼しい時間帯に歩き、水分を多めに携行してください。台風や大雨の後は古道の通行止めもあるため、事前に情報を確認しましょう。
Q. 服装や持ち物で気を付けることはありますか。A. 古道を歩くなら、軽い山歩きの装備が基本です。歩き慣れた靴、雨具、飲み水、汗を拭うタオル。社殿の参拝だけなら普段着で差し支えありませんが、石段や砂利道が多いため、歩きやすい靴だけは欠かせません。荷物は宿に預けて、身軽に歩くのがおすすめです。

